歴史的な衣装の金額はいくら?貴族や華族のリッチな暮らしに驚き?

よく大河ドラマや時代劇などを見ていると、豪華な衣装にびっくりすることがありませんか?
きらびやかな模様、細かい刺繍、何枚も折り重なった布の数々・・・。
見るものを圧倒しますよね。

しかも、現代とは違い、かつてはミシンや機械などはありませんでしたから、布を染めたり刺繍をするのもすべて手作業というのだから、本当に昔の人の努力というものはすさまじかったのだと思い知らされますよね。
逆に言うと、権力がある人達・・・例えば貴族や華族などは、そのお金を惜しまず使い、有名な染物屋さんや仕立て屋さんに1からお願いをしてオーダーメイドの衣装を作ってもらう事こそがステータスとなっていました。

今でもブランドの洋服やバッグを持ち歩くことをステータスとしていらっしゃる方も一定数いると思うのですが、それよりももっと、家という看板を背負い、仕立ての悪い商品を着ないように努力して、歩く広告塔のような役割をしていたのですから、相当なお金がかかっていたことは想像できるでしょう。

というわけでこの記事では、『歴史的な衣装の金額はいくら?貴族や華族のリッチな暮らしに驚き?』というタイトルで、
テレビでよく見る歴史的な衣装は現代の金額で大体いくらくらいかかって制作されたもの(もしくはいくらの価値があるもの)なのかを調査していきたいと思います。
特に今回はきらびやかさという事で女性の衣装をメインにしていきたいと思います。

大奥女性の衣装

まずは衣装と言えばこちら、大奥などの女性が着ていた着物、通称「掻取(かいどり)」です。
正しくは打掛小袖というのですが、大奥などでは公家の衣装の言い方を真似したり、着物の裾が地に引かないように、褄 (つま) や裾を引き上げる(掻い取って歩く)ことから掻取(かいどり)と呼ばれていたようです。
実際大奥の衣装は公家の衣装のようにとにかくきらびやかでしたし、お遊びも盛んでしたから、真似をして呼ぶのも理解できますね。

この大奥女性の衣装についてですが・・・
幕府から衣装代や化粧品代として与えられるお給料を「御合力金(ごこうりょくきん)」と言いました。
大奥には階級があり、トップの階級を「上臈御年寄(じょうろうおとしより)」と言います。仕事と言えば相談役なり名誉職のようなものだったのですが・・・。

この上臈御年寄に与えられた御合力金はなんと年間60両(現在の金額で600万円程度)!!
この中で衣装やかんざし代、化粧品代などを賄っていたそうです。

ちなみに一番下の位である雑用係「御末(おすえ)・御半下(おはんした)」でも年間20万円程度の衣装代をもらっていたのですから驚きです。

また、御台所(将軍の奥様)は1日5回も着替えがあったそうです。驚きです。

では、上の位の方々の掻取(かいどり)の料金ですが・・・。

例えば参考となるのがテレビドラマでやっていた大奥。
こちら女優の菅野美穂さんが着用されていた衣装が1,000万円程度する、というのが話題となっていました。金の糸や西陣織など様々な趣向をこらすとこのくらいはしたのでしょう。

ただ、御合力金が600万円ということですから、当時はもう少し安かったと思われます。(もしくは呉服屋に賄賂を渡していたとか)
ただし、下着や寝間着は1か月で着るのをやめて下女たちにあげていたというのですから、かなり金遣いが荒かったのでしょう。
掻取(かいどり)一着で車1台は余裕で走っていったと思われます。

十二単(じゅうにひとえ)

続いて十二単です。
こちらも高いと有名な衣装になります。その理由は・・・。

名前の通り、何枚も着重ねる衣装だから!
そのパーツをざっくりとお伝えすると、
小袖、下袴、袴、単衣、袿、打衣、表着、唐衣、裳・・・その他さまざまな装飾が施されていました。

しかも、これらの布1枚1枚に、外国から仕入れた木や草などを使ったようなとてつもなく貴重な染料が使われていたのです。

さらには、その身分によって使っても良い色などがあったり、細かい階級のようなものがある時代もありました。
その色を使う事こそがステータスだったのです。
染物に関しては、複雑な模様であればあるほど時間がかかり、きちんと色を入れ込んでから生地を寝かせることもあるので、完成までに数年間かかるものもあったそうです。

現在も皇族方が特別な式典の時に十二単をお召しになられますが・・・。

実はこちら、安いもので1億、高いと8億円程度するものもあるそうです・・・びっくり!!

現代のレンタルの場合

ちなみにもしも現代技術を使ったレンタル衣装で賄ったとすると(ざっくりの試算ですが)
それでもひとつひとつの布を足していくとかなりの金額になります。合計すると、300万円以上かかるのが当たり前でした。
これでも高いですよね。

ちなみに男性用の衣装(束帯「そくたい」)は、そこまで布の枚数も多くないですし、きらびやかな刺繍が施されているわけではないので、100万円あればよいものがレンタルで揃いそうです。

花魁(おいらん)

続いては花魁(おいらん)の衣装です。
○○太夫とついている超高級遊女だと、それはそれは美しくきらびやかな衣装が必要になってきますよね。
しかし、花魁は家や何かの借金で身売りされた人が働いていましたので、衣装代は遊女負担だったそうです。

それでも高級な花魁ともなると客が一夜を共にできるようになるだけで300~500万円くらいかかったとも。

そんな花魁ですが、衣装もすさまじく、かんざしや化粧代も莫大にかかりました。
その言われようは、『首から上だけで家一軒が建つくらい』とも言われていたのです。
首から上ということは、着物代は含まれていません。着物代も含めますと、ちょっとしたマンションが買えるくらいと考えるのが妥当でしょう。想像するだけで怖いですね。

そんな花魁ですが、かなり高額な利子を付けられ衣装も自腹だったため、あれだけ稼いでも年を取るとそのまま放り出されたり、無縁仏状態でお墓に入れられて終わりだそうです。いったいどこに埋葬されているのかわからない人もいるのだからなんとも切ない人生です。

文明開化時代(鹿鳴館)のドレス

参考資料:徴古館収蔵品データベースバッスル・ドレス

明治時代になり、日本にも西洋文化の波が押し寄せてきました。
大奥が終わり、代わりに台頭してきたのが華族たちが着用するドレスです。

その美しいドレスを身にまといダンスを踊る・・・そんな場所が明治時代にありました。「鹿鳴館(ろくめいかん)時代」です。

華族の女性たちは、ここでダンスをし、会話を楽しみ、外国に倣っていました。
鹿鳴館は国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として使用された場所ですので、それなりな衣装や所作振る舞いが求められました。

当時のドレスは「バッスルスタイル」「バッスルドレス」といわれる1870~90年代に流行していたものでした。
前はストンと下がり、うしろにボリュームが出るもので、お尻の部分がふわっとしており、日本人の体形カバーも若干できたのではないかなという衣装です。

では、鹿鳴館時代のドレス一式の金額ですが、

ドレス、下着、コルセットなど胴体周りに身に着けるもので約200~400万円。
シューズ・香水・装飾品などは別途かかっていたそうです。

また、当時の物価は現在の物価とは大きく違い、計算すると大体5千倍~1万倍すると現代の価格に近くなるといわれています。
つまり、先ほど明記した金額をさらに5千倍~1万倍しないといけないというのです!!

これはざっくりとした金額になりますが、皇族の奥様の衣装代が約3500~7000万
アクセサリーは別途かかりました(例えば首飾りに約2500~5000万程度と言われていたようです。)

つまり、衣装と首飾りだけで1億円以上かかることが当たり前だったという事です!!先ほどの十二単と大して金額が変わらなくなってしまいました。
本当に驚きですね。

最後に

今回は、きらびやかな女性の衣装の金額をざっくりではありますがご紹介しました。
しかしどれもとてつもなく高価でしたね。私たちには手が出ません。
それだけ優雅にきらびやかに生活していたという事がわかりますね。

もちろん衣装以外にも食べものや住む場所などもあったのですから、相当お金に困っていなかったという事も同時にわかりました。
今では貸衣装屋さんや写真屋さんで気軽に衣装を着るという体験もできますから、そういうプランを利用して当時の人々に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。